類稀なる才能の持ち主『ピーターラビットのおはなし』の作者
~ビアトリクス・ポター~
ビアトリクス・ポターは1866年7月28日、ロンドンのケンジントン、ボルトン・ガーデンズ2番で生まれました。ポター家は、大勢の使用人に囲まれて大邸宅に住む、典型的なビクトリア朝の裕福な家族でした。教育を受ける年齢になると、子ども部屋は教室となり、ビアトリクスはひとりで家庭教師から授業を受けました。彼女のような上流階級の子女は学校には通わずに家庭教師につくことが多かったのです。幼少の頃から多くの時間をペットとして飼っていた小動物や昆虫などと過ごし、鋭い観察力と絵画の才能を磨きました。ビアトリクスが16歳の夏、一家はイングランドの湖水地方に家を借りました。これがビアトリクスにとっての初めての湖水地方訪問です。彼女はこの土地の美しさに一瞬にして魅せられ、その後生涯を通じて魅了され続けることになります。
1893年に家庭教師の息子であるノエル少年に宛てた絵手紙に描かれたのが『ピーターラビットのおはなし』のはじまりでした。周囲からの提案により絵手紙から絵本をつくることを思い立ちますが、出版社からはすぐに良い返事が得られませんでした。そのため1901年にビアトリクスは自費で私家版を250部出版することになります。しかしこれが大好評となり、翌年の1902年にフレデリック・ウォーン社より『ピーターラビットのおはなし』が出版されると初版8000部は完売、瞬く間にベストセラーとなり、絵本作家としての活躍がスタートします。
36歳の時に『ピーターラビットのおはなし』を出版し、最終的には23 作の絵本を世に送り出すこととなります。
39歳の頃、ロンドンから湖水地方に拠点を移し、晩年は牧羊と自然保護活動に力を注ぎました。1943年にビアトリクスが亡くなった時、16の農場と4300エーカー以上の土地がナショナル・トラストに遺贈されました。彼女の望みどおり、ヒルトップ農場は当時ビアトリクスが住んでいたそのままの姿で保存されており、現在でも年に何千人もの観光客が訪れています。
39歳の頃、ロンドンから湖水地方に拠点を移し、晩年は牧羊と自然保護活動に力を注ぎました。1943年にビアトリクスが亡くなった時、16の農場と4300エーカー以上の土地がナショナル・トラストに遺贈されました。彼女の望みどおり、ヒルトップ農場は当時ビアトリクスが住んでいたそのままの姿で保存されており、現在でも年に何千人もの観光客が訪れています。